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小津安二郎の無声喜劇に倣って、朗らかに歩め Marchez joyeusement! なんぞとなんの皮肉もぬきに宣言したくなってしまう。 2003年ジャック・タチの復活に巷が賑わう中、 現代音楽の俊英にしてタチ狂としても知られる伊左治直氏が、 親しい仲間たちとともにタチに捧げる心ときめくCDアルバム 『南天夢譚―ジャック・タチの優しい夜』を世に出した。 タチ映画の音楽が、ボサノバ調のアレンジとともに 新たな生命を吹き込まれ、よみがえる。なんという幸せ! タチ映画とともにわたしたちは、朗らかに歩むことを学ぶだろう。 そこにはつねにあの独特の音楽が楽しげに鳴り響いている。 作曲者は違えども同じような雰囲気を醸し出すタチ映画の音楽は、 一度聴いたら忘れることはできない。 それはことさら派手であったり華美であったりするものとはほど遠い。 タチの映画がつねにそうであるように至ってささやかなものである。 日々の暮らし、ヴァカンス、年に一度のお祭り、 周期的にくりかえされる退屈であったり、晴れやかであったり、 物憂くもあったりする人間とその世界の営み、 そうしたものすべてにたいする慈しみ、愛、讃嘆の気持ち。 いま、わたしたちは、タチ的音楽、音響にゆったりと身を委ねながら、 そこはかとなく浮遊し、浸透するその波動に、こわばりたわんでいた 心も体もゆるやかに解放されてくるのを感じることだろう。 伊左治直氏のアルバムは、まさにこうしたタチ的音楽、音響の性質を 知悉したうえで、新たな編曲、変奏、ヴォーカルによって、 タチ映画を聴く大いなる歓びへと人を誘惑する。 これは、音楽による伊左治氏の優れて魅惑的なタチ論である。 われわれはこのCDを、タチ映画がそうであるように、 くりかえし聴き直したいと思う。 短篇を含めた全長篇作品の音楽を網羅したこの画期的アルバムの魅力は、 タチ映画の実にさまざまな記憶を豊かに喚起されることにとどまらず、 タチ映画の不可視の余白にまでも 想像力の翼を飛翔させてくれることにある。伊左治氏のアルバムは、 タチ的音楽と音響が喚起する夢想の詩学の結晶と言ってよい。 われわれは、タチ映画から飛翔し、ふたたびタチ映画へと還り着く、 そんな往復運動をこのアルバムとともに、日々くりかえしてゆきたい。 このCDを聴きながら、そんなことを思うのだ。 これは、タチ映画と、われわれの世界と生の営みすべてに捧げられた、 素敵な贈り物である。 あの美しい『パラード』の行進曲とともに、朗らかに歩め! *文章および画像の無断掲載・転載等は固くお断りいたします。
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